歳時記1/24(24ぶんの1)きたみなみ Seimei清明(せいめい)

4月5日  清明(せいめい) ”pure and clear” 命輝きはじめる

清明の季節  語源と由来

清明(せいめい)は、立春から5番目の二十四節気の季節です。清浄明潔(せいじょうめいけつ:clean and clear)からきた呼び名で、さわやかな風がそよぎ、温かく明るい陽射しが命を輝かせる景色からこの名がついたといわれています。中国や沖縄地方などの国々や地域によっては、先祖を供養する慣わしや祭りが行われています。

九州では  南の原風景

私が九州の佐賀に住んでいた頃、この四月の初旬は桜の花びらが散って葉っぱが芽吹き始める季節の節目を感じていました。幼い頃は、実家の周囲に田んぼが広がり、紫の小さな花をつけたレンゲが咲いていました。温かい陽差しのなか、ミツバチやモンシロチョウが飛び回って蜜をあさっていました。さわやかな春の風に、牧歌的な景色が思い出される清明の季節です。

北海道では   北の春の訪れ

さて、北海道札幌はといいますと、日差しは明るくなり厚手のコートも要らなくなりました。野山にはようやく福寿草の花が咲きました!フキノトウも芽を出しました。早速、フキノトウ味噌にして、ご飯のお供としていただきました。冬の間に体に溜まった毒素を出してくれる爽快感をおぼえておいしくいただきました。春の味覚に感謝です。旬を味わいながら、身も心も洗われる清明を体感しています。

福寿草が北海道の春を告げます!

清き明き心(きよきあかきこころ)

ところで、清明といえば、どうしても「清き明き心」という言葉が頭に浮かんできます。私は高校で公民(公共・倫理・政治経済)も教えています。そこで日本固有の思想を教えるのですが、この「清き明き心」は古代日本人の理想の心とされてきた言葉です。稲作を生業とした古代日本の世界から生まれたもので、清らかな水と明るい陽射しによって稲が豊かな実りをもたらされるように、人と人との間の関係が清く結ばれ、一人ひとりの心が清く明るくあるべきだという道徳的な言葉です。

仏教とキリスト教  清明心の普遍性

信仰心は人さまざまだと思いますが、清明心については普遍的な価値観として心得て良いものだと個人的に考えます。仏教では、煩悩(ぼんのう=悩み苦しみ)を捨て去り正しい道(仏の教え)を生きることが、清明心といえると思います。キリスト教では、聖書にある「心の清い人々は、幸いである」というイエスの教えなどが、清明心を心得るものに近いのではないかと思われます。

ちなみに今年の清明は、キリスト教のイースター(復活祭)と同じ日にあたります。東洋の「命輝く時節」と西洋の「復活・再生の祭り」が偶然に重なったこの春、文化や信仰の違いを超えて、清明心というものの普遍性をあらためて感じさせてくれます。

二十四節気を意識して暮らしてみる 

グローバル化が進展する世界において、異文化の本質を知りつつ、国の文化や思想も深めていく。その双方の動きは必要だと思います。社会が目まぐるしく変化していくなかで、自己のアイデンティティを再確認しながら、自分らしい生き方を気持ちよく生きていくきっかけとして、二十四節気の季節の節目に考えを巡らせてみました。

清明は毎年4月4〜5日頃にあたります(太陽黄経15度)。二十四節気は中国古代の農耕暦に起源を持ち、日本には奈良時代頃に伝わったとされています。天恩莉庵「きたみなみ」連載より。

清明、命が舞う、蝶が舞う

コメント